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「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が生まれた背景

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1992年11月28日。
 ホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は、ヒット・チャートの1位に昇りつめると、14週間、その地位を保った。

 ホイットニー自身が主演した映画「ボディーガード」の主題歌として発表されたこの曲は、レナード・コーエンの「ハレルヤ」と並んで、歌のオーディション番組で数知れないほど歌われてきた「名曲」である。
 歌い手が、自分の歌の技量を示すのに適した歌だというわけである。




 だが、「アメリカン・アイドル(オーディション番組)に出演して、この歌を歌う子たちはほとんど、この曲を作曲したのがドリー・パートンであることを知らないようだ」と、ドリーのマネージャー、ダニー・ノゼルは語っている。
 そう、この曲は、ドリー・パートンが1963年に発表されたアルバム「ジョリーン」に収録し、翌年シングルとして発売し、カントリー・チャートのナンバーワンに輝いた歌なのである。
 だが、ドリーが書き、歌った原曲はカントリー・バラッドだった。オーディションに出て、この曲を歌う若者たちは、ホイットニーのように、ソウルフルに、声量豊かに歌い上げたいのである。

 では、何故、ホイットニーは、この曲を映画の主題歌に選んだのだろうか。
 選んだのは、ホイットニー自身ではなく、共演者のケビン・コスナーだった。彼は、ホイットニー演じるスター歌手のボディーガード役だった。
 今は仕事上、一緒にいるふたり。だが、仕事が終われば離れ離れになっていく。でも。。。


でも私は
いつだってあなたのことを愛している



 というわけである。
 実はドリー・パートンは、デュエット・パートナーにして、音楽的メンターだったポーター・ワゴナーから独立する時に、この曲を書いている。
 ケビン・コスナーがその事情を知っていたかどうかは、わからない。
 だが、この曲は映画にマッチし、ホイットニーの代表曲となったのである。

 そんなわけで。
 結婚式などで歌う歌ではないのだが、アメリカの結婚式では、よくこの歌が歌われるそうだ。離婚を前提としているのだろうか。


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